彼岸花(ひがんばな)
2017年 09月 18日
数年前、国道二九号線を車で走っていて、林田町あたりに差し掛かったとき、彼岸花の真っ赤な花の群れが眼に入り、「ハッ」とした。例年、正月、盆、春秋の彼岸には墓参りをすることにしているのに、その時は何故かお彼岸が近づいていることをすっかり忘れていた。あわてて日付を確認すると、彼岸の中日の二日前であることが分かって一安心し、この律儀に咲く花に感謝したことがある。
彼岸花の別名は、曼珠沙華はともかくとして、死人花、幽霊花、したまがりなど禍々しい名前が多い。これは、この花の全草(特に鱗茎)にはリコリンという有毒成分が含まれていて、食べると嘔吐、下痢、けいれんなどを起こすので忌み嫌われたためだ、と云われている。だが、そうであれば、長い歴史の過程で徐々にでも駆除されて、今では無くなっているはずである。
彼岸花の鱗茎(球根)は、多量の澱粉を含んでいる。鱗茎を砕いて何度も水に晒せば、有毒成分は流れ出て澱粉だけが残る。古くからこれを、凶作の時の非常食(救荒食物)としてきたし、太平洋戦争中、四国に彼岸花の澱粉精製工場が作られたこともあるという。
だから、彼岸花に不吉な名前を付けたのは、有毒な植物であるから気をつけようと注意を促すことと、彼岸花の球根の乱獲を防ぐためであったのではないかと思う。
彼岸花は、ヒガンバナ科リコリス属の多年草である。だから、植物学者は「ヒガンバナ」と呼ぶが、俳諧の世界では、別名「曼珠沙華」の方が幅を利かせている。
萬葉集には一首だけ彼岸花の歌が載せられている。それが、次の歌である。
「路の辺の いちしの花のいちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は」
(作者不詳、柿本人麻呂とも;万葉集巻11)
(道ばたに咲く、よく目立つ彼岸花のように、私の恋人のことを、みんなが 知ってしまったよ)
この「いちし(壱師)の花」が、彼岸花とされている。
だが、「いちしの花」については古くから諸説があり、ヒガンバナをはじめ、ギシギシ、やクサイチゴ、エゴノキがそれであると解する説が主張されている。
通説とされるヒガンバナ説は、牧野太郎博士によるもので、「いちしろく」を「明白な」という表現ととらえ、漢名の「石蒜(せきさん)」が「いしし」と読め、これが訛って「いちし」になったと説明している。
疑問点として、華やかに、そして賑やかに咲く彼岸花の歌が万葉集に一首のみ現れて、以降
江戸安永に与謝蕪村が次の句を詠むまで日本文学に登場してこなかったのは何故なのかということである。
曼珠沙華蘭に類(たぐ)いて狐鳴く 蕪村
これについて、渡来したのは室町時代、世間に普及したのは江戸時代とする説もある。ということであれば、「いちし(壱師)の花」は、彼岸花ではないということになるが・・・。
西国の畦 曼珠沙華 曼珠沙華 森 澄雄